【新座市】旧石器時代から人々が暮らし、快適な住宅街に発展

平林寺

新座市は、埼玉県の南部に広がり、約16万人の人々が暮らしています。新座市には、旧石器時代の遺跡が見られるなど、古くから人々の生活が営まれてきました。「大和田ファミリープール」周辺に広がる「新開遺跡」はその代表的存在で、縄文時代の住居跡や中世の竪穴遺構のほか、石器や土器など旧石器時代から平安時代にかけての遺物が多数発見されています。

その後、現在の新座市周辺には、先進文化を持っていた新羅人が移住してくるようになりました。奈良時代には、武蔵国に新羅郡が設置され、ここにも新羅という名が利用されています。平安時代になると、新羅郡という表記は新座(にいくら)郡と改められました。このように、新座という地名は長い歴史を持っています。

ケヤキ並木の川越街道石碑

室町時代、太田道灌が築いた江戸城と川越城の間に、川越街道が整備されました。江戸時代になるとこの道は、川越藩主であった松平信綱によってさらに整備され、中山道の脇往還としての機能も持つようになります。今の新座市内の大和田は、川越街道の宿場町として発展した集落です。大和田にある「大和田氷川神社」は、802(延暦21)年に創建されたと伝えられる古社で、現在も地域の人々の篤い信仰を集めています。

「大和田氷川神社」近くに建つ「普光明寺」も、806(大同元)年開山とされている長い歴史を持つ寺です。境内の千体地蔵堂も古くからこの寺にあるといわれ、33年目ごとに御開帳が行われています。前回の御開帳は1992(平成4)年でしたので、次回の御開帳は2025(平成37)年となります。

平林寺

また、川越街道の南側には、広大な面積を持つ「平林寺」があります。この寺はもともと、現在のさいたま市岩槻区にありました。1590(天正18)年、豊臣秀吉の岩槻城攻めの際に大半を焼失してしまいましたが、徳川家康に土地を寄付され復興します。その後、「平林寺」は家康に仕えた武将・大河内秀綱のもとで保護され、彼の死去以降は大河内氏の霊廟となりました。秀綱の孫にあたり、大河内家から長沢松平家へ養子に入ったのが、松平信綱です。後に川越藩主になった松平信綱は、「平林寺」を現在の野火止に移し、現在の姿になりました。

ゾウキリン

「平林寺」には、今も武蔵野の面影を残すクヌギやコナラなどの雑木林に覆われています。この雑木林は国の天然記念物に指定されているほか、新座市のゆるキャラも「雑木林とせせらぎのあるまち新座」の雑木林にちなんだ「ゾウキリン」で、新座市における「平林寺」の雑木林の重要性が伺えます。

野火止用水(小山三丁目付近)

また、松平信綱は、玉川上水から用水を引くため野火止用水の開削も行いました。40日という短期間で完成したこの用水により、野火止台地上では多数の新田が誕生しました。現在は野火止用水沿いに遊歩道が設けられ、市民の憩いの場として親しまれています。

1970年代頃から、新座市では住宅開発が盛んに行われ、「新座団地」や「新座野火止団地」といった大規模な住宅団地が続々と誕生しました。これに伴い人口も急増、1970(昭和45)年には市制が施行され、新座市になっています。さらに、1973(昭和48)年、市域を貫くようにJR武蔵野線が開通し、「新座」駅も設けられました。こうして交通の利便性が向上した新座市では、暮らしやすい住宅地として注目され、現在では成熟したベッドタウンとして成長を遂げています。

新座市のアクセス情報

新座駅

新座市の中心部にある「新座」駅にはJR武蔵野線が乗り入れています。東京都心方面からのアクセスは、「池袋」駅から東武東上線急行電車で約16分の「朝霞台」駅で降り、「朝霞台」駅前の「北朝霞」駅から武蔵野線に乗り換えるルートを使うと、約25分でアクセス可能。「池袋」駅から西武池袋線に乗り「秋津」駅で下車、「新秋津」駅から武蔵野線に乗るルートでもアクセスすることができます。

東武東上線、西武池袋線には東京メトロ有楽町線、副都心線に直通する電車もあり、「有楽町」駅や「新宿三丁目」駅、「渋谷」駅からのアクセスもスムーズです。「新宿三丁目」駅から東京メトロ副都心線の東武東上線直通電車に乗れば「新座」駅まで約37分で到着します。

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