【志木市】水運で栄えたカッパの街

志木市は、埼玉県南部にある人口約7.6万人の市です。市の名前は律令時代の地名である志木郷に由来し、1874(明治7)年に当時の引又宿と舘本村が合併する際、志木宿という名を採用したことがきっかけとなりました。

江戸時代初期、川越藩主になった松平信綱は、川越と江戸の物資運搬手段として水運に注目し、新河岸川の改修工事を行います。こうして新河岸川は川越から江戸への主要ルートとして発展し、川沿いには多くの河岸も誕生しました。現在の志木市本町一丁目付近に設けられた「引又河岸」もそのひとつです。「引又河岸」は、奥州道(現・志木街道)と新河岸川が交わる場所にあたり、舟運と陸路の要衝でした。「引又河岸」周辺では六斎市が開かれ、「引又宿」が設けられるなど、大いに発展したといいます。

志木市いろは商店会
志木市いろは商店会

1914(大正3)年に東上鉄道(現・東武鉄道)が開通すると、物資輸送は鉄道にとってかわられ、舟運は衰退していきましたが、今も「志木市いろは商店会」の老舗や、東武東上線「志木」駅から「志木市役所」方面に伸びる通り沿いに残る土蔵造りの街並みに当時の面影をみることができるほか、「市場坂下」交差点付近にはかつての引又村に関する展示があり、志木市の歴史を学ぶことができます。

旧村山快哉堂
旧村山快哉堂

志木市内には、ほかにも歴史を感じられるスポットが点在しています。「志木市役所」の前にある「旧村山快哉堂」は、1877(明治10)年に建築された店蔵で、1995(平成7)年に解体後、「いろは親水公園なかすの林(現・村山快哉堂ひろば)」に移築復元されたものです。座売り形式だった当時の商形態は、川越の店蔵とは異なる意匠も見られ、志木市の有形文化財(建造物)にも指定さています。

「市場坂上」交差点近くの 「旧西川家潜り門」は、この付近の西川家にあった門を移築したもので、1866(慶応2)年に起きた武州一揆の刀傷が残されています。いろは橋の中宗岡側には「いろは樋(どい)の大桝」もあります。これは野火止用水を引又から対岸の宗岡村に引くために造られたもので、大桝は用水の水を樋に送り出す前に、一度水をためておく用途で使われていました。

志木駅前のカッパ像
志木駅前のカッパ像

また、市内を3本の川が流れる志木市にはカッパにまつわる伝説が多く残り、「志木」駅前をはじめとする市内各所に置かれたカッパの像や、「志木市いろは商店会」の「カッピー」、「志木市文化スポーツ振興公社」の「カパル」など、カッパにちなんだキャラクターが街を盛りあげています。今も歴史と豊かな水に恵まれた志木市は、暮らしやすく快適な街といえるでしょう。

志木市のアクセス情報

志木駅
志木駅

「志木」駅は東武東上線の主要駅で、「TJライナー」以外のすべての電車が停車します。「志木」駅が始発となる電車も多く、朝の通勤時間帯でも少し並んで待てば座って快適に移動することも可能です。上り列車は快速急行も運転されており、「志木」駅から「池袋」駅までは、快速急行なら2駅約18分と短時間で到着します。東武東上線には東京メトロ有楽町線や副都心線との直通電車もあり、「有楽町」駅からは有楽町線の東武東上線直通電車に乗り約47分、「新宿三丁目」駅からは副都心線の東武東上線直通電車利用で約31分と、いずれもダイレクトでアクセスできます。


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